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2021年5月 7日 (金)

ヨシムラヒストリー 14紹介!

広報課/石橋です。


「ヨシムラの歴史」を広くアーカイブとして残し伝える目的として
バイクブロスWEBとの企画「ヨシムラヒストリー」ですが、「第14回」が公開されましたのでご紹介いたします。

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前回の【ヨシムラヒストリー13】は
「鈴鹿8耐優勝!に隠れた幾つかのサイドストーリー」と題したエピソードでした。
1977年秋、POPと不二雄は鈴鹿8時間耐久レースにGS1000で勝負することを決意。
事前テストでは好調だったGS1000が、フリー走行になるとクラッチが壊れ続けるトラブルが発生。
何とか対策部品を作り、すべての問題が解決かと思われたが・・・。

1978年7月30日(日)午前11時30分、ついに第一回の鈴鹿8時間耐久レースの火蓋が切って落とされた。


今回の【ヨシムラヒストリー14】
「デイトナで1-2-3! ピアース、クーリー、エムデで完勝!!!」と題したエピソードです。
https://www.bikebros.co.jp/vb/sports/sfeat/20210430_yh14

1979年ヨシムラは、AMAスーパーバイクに参戦。
3台体制で挑んだデイトナ戦は、稀に見るレース展開となった。
トップをキープしていたW・クーリーはマシントラブル、代わってR・ピアースがトップに
D・エムデは最後尾63番手からのスタート・・・。
ヨシムラチューンの凄さを世界に知らしめる一戦となった伝説のデイトナ戦をご紹介。

翌1980年からは、鈴鹿8耐が世界選手権に昇格し、ホンダ、カワサキがファクトリーチームとして参戦。
最大排気量1025ccまでのボアアップが可能になったマシンでのレース は、より厳しさをを増していくことになっていく。


ヨシムラの源流となる波瀾万丈のヒストリーをご覧ください。
長期連載(不定期)となりますので、公開情報は随時お伝えします。
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【ヨシムラヒストリー バックナンバー】
https://www.yoshimura-jp.com/fan/bb-pr