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2020年8月28日 (金)

ヨシムラヒストリー 12 ご紹介!

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広報課/石橋です。


「ヨシムラの歴史」を広くアーカイブとして残し伝える目的として
バイクブロスWEBとの企画「ヨシムラヒストリー」がスタートしました。
その記事の「第12回」が公開されましたので紹介いたします。

前回の【ヨシムラヒストリー11】は
「スズキとの出会いと時代を変えたGS750/944」と題したエピソードでした。
1976年、アメリカのバイク月刊雑誌に一枚のエンジン透視図が掲載されました。
それはスズキの新型4ストローク並列4気筒GS750のエンジンでした。
このGS750のエンジンに興味を抱いたPOP吉村は
この年の8月、スズキGS750開発責任者の横内氏と
ヨシムラの未来を運命づける出会いを果たしました。
そして翌1977年、ヨシムラ・スズキGS750/944は
AMAスーパーバイク第6戦ラグナセカでデビューウィンを飾りました!

今回の【ヨシムラヒストリー12】
「ファミリー総出で勝ち取ったデイトナスーパーバイク初優勝」と題したエピソードです。

https://www.bikebros.co.jp/vb/sports/sfeat/20200828_yh12/

1978年デイトナ・スーパーバイクでいよいよ集合管が解禁となり、
ヨシムラは4-1集合管を装着したGS1000、Z1、GS750/944の3台をエントリーし、
GS750/944には加藤昇平(加藤陽平監督の父)が乗ることになりました。
森脇護(現モリワキエンジニアリング社長)は、自ら鈴鹿でテストをし改良したZ1用新フレームを
USヨシムラに送り込み、デイトナに渡りました。
こうして1978年のデイトナにPOP吉村の3人の息子たち、長男・吉村不二雄、森脇護、加藤昇平が揃うことになリました。
デイトナ・スーパーバイク決勝は、ポールポジションがZ1のW・クーリー、2番グリッドがGS750/944の加藤昇平、
一方、デビュー戦のGS1000のS・マクラフリンは予選レースで大きなトラブルに見舞われ、
決勝レースは最後列34番グリットからのスタートになリました。
だが、そこからGS1000の怒涛の追い上げが始まる・・・!


ヨシムラの原点。
POP YOSHIMURAこと吉村秀雄、「ヨシムラ」の波瀾万丈のヒストリーをご覧ください。
長期連載(不定期)となりますので、公開情報は随時お伝えします。
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【ヨシムラヒストリー バックナンバー】
https://www.yoshimura-jp.com/fan/bb-pr
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